日本同盟キリスト教団

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あなたの道を主にゆだねよ。 主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。 (詩篇37篇5節)

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  • 「教会」という言葉を聞いたことがあっても、そこがどんなところかよくわからない、、、という人も多いことと思います
  • 多くの日本人は「宗教」ということばに無関心でいます
  • ですから、仏教は人の「死去」と結びついており、教会は「悩み」と結びついているというような漠然とした印象が一般的かもしれませんね
  • もしかしたら、最近では、教会と言えば結婚式・・・なんて勘違いしている人もいるかもしれません
  • 教会はけっして、悩み事相談所でも身の上相談所でもありませんが、もし人生について悩んだり、だれかに助けてもらいたい、と思ったら、教会を訪ねてみるとよいと思います
  • 教会の人があなたを助けてくれるというわけではありませんが、天の主である神さまご自身が、目に見えない力で、あなたを助けてくださるのです
  • イエス・キリストによって救われた人は、あなたの身近なところにもたくさんいるはずです
  • 「教会に行ってみよう」という小さな決心が、きっとあなたを救います
  • 下記に、あなたの参考になると思われる事例をいくつか掲げてみます
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星野富広◎四季のうたシリーズ  夏


 私は小さいころ、家の近くを流れる渡良瀬川から大切なことを教わっているように思う。

 私がやっと泳げるようになった時だから、まだ小学生のころだろう。ガキ大将たちにつれられて、いつものように渡良瀬川に泳ぎに行った。その日は増水していて濁った水が流れていた。流れも速く、大きい人たちは向こうの岸の岩まで泳いで行けたが、私はやっと犬かきが出来るようになったばかりなので、岸のそばの浅い所でピチャピチャやって、ときどき流れの速い川の中心に向かって少し泳いでは引き返して遊んでいた。

 ところがその時、どうしたはずみか中央に行きすぎ、気づいた時には速い流れに流されていたのである。元いた岸の所に戻ろうとしたが流れはますます急になるばかり、一緒に来た友だちの姿はどんどん遠ざかり、私は必至になって手足をバタつかせ、元の所に戻ろうとして暴れた。しかし川は恐ろしい速さで私を引きこみ、助けを呼ぼうとして何杯も水を飲んだ。

 水に流されて死んだ子供の話が、頭の中をかすめた。しかし同時に頭の中にひらめいたものがあったのである。それはいつも眺めていた渡良瀬川の流れる姿だった。深い所は青青と水をたたえているが、それはほんの一部で、あとは白い泡を立てて流れる、人の膝くらいの浅い所の多い川の姿だった。

 たしかに、私がおぼれかけ、流されている所は、私の背よりも深いが、この流れのままに流されていけば、必ず浅い所に行くはずなのだ。浅い所は、私が泳いで遊んでいたあの岸のそばばかりではないと気づいたのである。

 「・・・・・そうだ、何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか」

 私はからだの向きを百八十度変え、今度は下流に向かって泳ぎはじめた。するとあんなに速かった流れも、私をのみこむほど高かった波も静まり、毎日眺めている渡良瀬川に戻ってしまったのである。下流に向かってしばらく流され、見はからって足で川底を探ってみると、なんのことはない、もうすでに底は私の股ほどもない深さの所だった。私は流された恐ろしさもあったが、それよりも、あの恐ろしかった流れから、脱出できたことの喜びに浸った。

 怪我をして全く動けないままに、将来のこと、過ぎた日のことを思い、悩んでいた時、ふと、激流に流されながら、元いた岸に泳ぎつこうともがいている自分の姿を見たような気がした。そして思った。

 「なにもあそこに戻らなくてもいいんじゃないか・・・・・流されている私に、今できる一番よいことをすればいいんだ」

 そのころから、私を支配していた闘病という意識が少しずつうすれていったように思っている。歩けない足と動かない手と向き合って、刃をくいしばりながら一日一日を送るのではなく、むしろ動かないからだから、教えられながら生活しようという気持ちになったのである。

●聖書からのメッセージ

 立ち止まって考えると、人生には多くの問いがあります。理解できない出来事や深い悲しみ、どこにもぶつけることのできない痛み。しかし、聖書に出会うことで少しばかり、その答えが見える気がします。

   あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実なお方ですから、あなたがたを耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

   主(神)ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。

 私たちが苦しい時、神さまに思いのすべてを打ち明けることができます。神様がそばにいて助けてくださいます。神様は私たちを見捨てず、脱出の道を備えてくださるのです。

・・・・・全国家庭文書伝道協会(EHC)の許可を得て掲載しています

星野富広◎四季のうたシリーズ  春


春になると、病院の庭にたくさんの花が咲きました。窓辺に花が咲いていると、寝ていても、うきうきしてしまいます。

私が自分のからだを心配して、暗い身持ちになっていても、春がくれば、木の芽がいっせいに芽ぶき、小さな雑草にも美しい花が咲きます。満開のサクラの花の中を飛び交う鳥たちは、とても楽しそうでした。反対に、病室の人たちと、冗談を言い合って笑っている時でも、時季がくれば花はちり、草は枯れてゆきます。人間のひとりひとりの思いとは関係なく、季節はめぐり、流れてゆきます。

そういう中で、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、憎んだり・・・・・・。偉大な自然の中で、私たちは、なんと、ちっぽけなのでしょう。

ベッドの横には、いつも花がありました。おみまいの人が持ってきてくれたのを、母がかびんにいけておいたものです。上を向いて寝ている私の目の隅には、昼も夜も、その花が映っていました。

野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。

きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の花さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。 マタイの福音書6章

聖書の中にあった言葉を思い出しながら見ていたら、私は、その一りんの花よりも、小さくなってしまう思いでした。

それまで、たいして気にもしなかった小さな花が、雄大な風景のように見えるのです。

手紙の隅に、まくらもとの花をかくようになったのは、このころからでした。

手紙にかいていた花は、しだに大きくなり、いつのまにか文字よりも多くをしめるようになりました。

かいていくうちに、花はますます美しくなり、かきおわった時は、その美しい花と友だちになったような気がしました。

●聖書からのメッセージ

私たちが自然を見る時、その美しさ、完璧さに驚かされます。

考えたことはないでしょうか。それを創造した方がおられるのではないかと。

聖書を開くと、最初にこう書かれています。

   初めに、神が天と地を創造した。

この地球も宇宙も偶然できたのではなく、「神」が意思をもってデザインし、造られたと聖書は語ります。

大自然の壮大さに触れ、聖書の記者の一人であるダビデ王(紀元前1000年ごろ)はこう書きました。

  あなた(神)の指のわざである天を見、
  あなたが整えられた月や星を見ますのに、
  人とは何者なのでしょう。
  あなたがこれを心に留められるとは。
  人の子とは、何者なのでしょう。
  あなたがこれを顧みられるとは。

「神」はどんなお方なのでしょう。星空のかなたから、私たちを眺めているお方でしょうか。実はそうではありません。私たちの近くにおられ、私たちを顧みてくださるお方なのです。

   花が上を向いて咲いている
   私は上を向いてねている
   あたりまえのことだけど神さまのふかい愛を感じる(ひなげし)・・・・・・・・富広

・・・・・全国家庭文書伝道協会(EHC)の許可を得て掲載しています

星野富広◎四季のうたシリーズ  冬


部屋の中から、久しぶりに積もった雪を見ていたら、目の前の窓ガラスがいきなり「ビシッ」と鳴り、斜め下に黒っぽい物が落ちてゆくのが見えた。何かがぶつかったようである。

隣の部屋で掃除をしていた母を呼び、庭を探してもらった。窓の下で母がぶつぶつ言うのが聞こえ、しばらくして、窓の下から黒っぽい物を掴んだエプロンの腕が、にゅーっと突き上げられた。

母は頭と背中が泥だらけになった鳥を握って、部屋に入ってきた。鳥は灰色のまぶたを閉じていたが、胸は小さく波打っていて、まだ生きているようだった。

ヒヨドリほどの大きさだが、くちばしや脚がヒヨドリより細く、弱そうな鳥だった。

以前も、スズメが窓ガラスにぶつかって落ちたことがあった。そのスズメは、口から血を流して死んでしまったが、あの時も雪が積もっていたような気がする。ガラスに映る青空に、飛んでいこうとしたのだろう。気持ちよく飛んでいて、何もないと思っていたところに、いきなり激突したのだから、鳥にしてみれば何がなんだかわからないまま、ひっくり返っているのに違いない。

私も怪我をした時、そんな気持ちだった。小さな紙箱の中に横たわっている鳥は、十九年前、体育館のマットの上に倒れている自分の姿を見る思いだった。

しかし鳥は打ちどころが良かったのか、三時間ほどすると起き上がり、よちよちと歩き始め、それから突然部屋の中を飛びはじめた。

外はすでに暗くなっていたので、一晩家の中に泊めてあげることにした。暗い外に放せば、また、どこかにぶつかってしまうだろう。

ところが鳥のほうは、そんな人間の心遣いなどわかるはずがなく、入れてあげた紙箱の隙間から飛び出そうとして、めちゃくちゃ暴れまわった。

次の日の朝になった。母が庭に出て鳥の入っている箱を開くと、鳥は弾丸のように冬空の中へ飛んでいった。母が戻ってきたので、

「えらい勢いで飛んでいったねぇ」と言えば、母は、

「おはようございますでもなけりゃ、お世話になりました、でもねぇんだから・・・・・」と笑いながら言った。私も、「せめて前の木にちょっと止まって、頭ぐらい下げてもらいたかったねぇ・・・・・。あのままだったら外で凍え死ぬか、ネコに喰われちまったんだから・・・・・」

もちろん冗談で言ったことである。しかし余りにも、あっさりと飛び去ってしまった鳥に、少々、拍子抜けしたことは事実だ。

思えば貧しい心である。何の事情もわからず、まして、人間の言葉も理解できない小さな鳥にさえ、心の隅に「見返り」を期待してしまう。

その私が同じ人間に対して、どのような思いで生活していることか・・・。また、そういう気持ちをどれほどもみ消しながら生きているか。

「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう」(エレミヤ書17章9節)

聖書を開けば、そんな私の心など、とうの昔に見透かされているのだが、一羽の鳥の事故を通して、改めて考えさせられた朝だった。

●聖書からのメッセージ 

自分の心にある、どうしようもなく汚い思い―それは、聖書で「罪」と呼ばれています。人間は誰も罪を持っています。

そして罪はその人を死に至らせます。「罪から来る報酬は死です。」(聖書)

罪と死から、私たちを救ってくださるただひとりのお方が、イエス・キリストです。

イエス・キリストは約二千年前、イスラエルの小さな町でお生まれになりました。多くの人の病をいやし、真理を説かれました。当時、さげすまれていた取税人や売春婦たちとさえ食事をともにし、神の愛について語りましたが、ユダヤ人の宗教家や政治的リーダーたちにねたまれ、十字架につけられて死なれました。

しかし、三日後に復活し、多くの弟子たちの前に姿を現した後、天に昇られました。

イエス・キリストの誕生より七百年も前に書かれた聖書の預言には、キリストについてこのように記されています。

   彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、
   私たちの咎のために砕かれた。
   彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
   彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

私たちの罪が赦され、私たちがいやされるために、キリストは身代わりとなって死んでくださいました。

キリストは今も生きておられ、私たちに温かいまなざしを向けておられます。そして今も、ご自身の名を呼び求める人を助け、信じる人を救ってくださるのです。

   どんな時にも
   神さまに愛されている
   そう思っている
   手を伸ばせば届くところ
   呼べば聞こえるところ
   眠れない夜は枕の中に
   あなたがいる(愛されている 春蘭)・・・・・・富広

・・・・・全国家庭文書伝道協会(EHC)の許可を得て掲載しています

星野富広◎四季のうたシリーズ  秋


モチの木ではない。樫の木とも少し違う。自分が何者なのかわからずに悩んだ木は、そばにあった大きな椎の木を見上げ、「私も椎の木になりたい」と言った。それを聞いた誰かが、

「葉も実もちょっと違うが、まあ似たようなもんだ、待っていればいつか椎になれるよ」と言ったのである。

あれから何十年、いや何百年過ぎたかわからない。その木はあいかわらず、椎になれる日を待っている。

たくましく成長して、中には椎の木よりも大きくなったものもいる。

木はときどき考えることがある。

「『おまえは、いつか立派な椎の木になるのだから、その日まで辛抱するんだ。』と先祖から教えられてきたけれど、私は本当に椎の木になりたいのだろうか・・・・・・私は、私のままでいるのが一番いいような気がする」

庭にある「マテバシイ」という変な名前の木を眺めながら、ふと私も木と同じことを思うことがある。

●聖書からのメッセージ

   夏に咲く花があり
   冬に咲く花がある
   どちらがしあわせなどと 誰にも言えない
   走る人がいる
   自転車の人がいる
   車椅子の人がいる(冬に咲く花 ヤツデ)・・・・・・富広

人間はみんな似ていても、それぞれ異なった個性を持つ存在です。

聖書では、さまざまな能力を持つ個性豊かな人間を、からだの各器官にたとえています。

からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。

もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。

しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。

そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。

それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。


あなたの代わりはだれもいません。目的があって神さまに造られた、大切な存在なのです。

   わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。
   わたしはあなたを愛している。(聖書)

神様の目には、あなたは価値ある特別な存在なのです。

   造られたもので
   目的のないものはないという
   価値のないものもないという
   動かない指を見ながら
   今日はそのことを
   思っていた(指 みぞそば)・・・・・・富広

・・・・・全国家庭文書伝道協会(EHC)の許可を得て掲載しています

もと僧侶いま牧師 松岡広和


仏教からキリスト教へ変えられた人生

■寺の住職の息子に生まれ、みずから進んで僧侶になる
私は以前僧侶でした。私は1962年に、寺の住職の息子として生まれました。兄がいましたから、寺を継がなくてはならないということはありませんでした。高校生の頃から、「なぜ私は生まれてきたのか。なぜ生きていかなければならないのか。」といった疑問が、絶えず私の心を支配するようになりました。周りの人たちを見ていると、夢の実現に向けて、あるいはお金を得るために、わき目も振らず一生懸命になっています。しかし、生きている目的がわからないまま、なぜ自分の夢やお金や名誉、社会的地位のために力の限り努力することができるのか、私には不思議でなりませんでした。

生きる目的とは何かを見出そうと、私は自ら望んで僧侶の道に入ったのです。大学では仏教を研究しました。やはり仏教は深遠で、その思想、哲学の中には、偉大な真理が隠されているように思えました。いつかきっと真理に目覚める時が来るだろうという期待を持ち、山に行ってさまざまな修行もしました。

■仏教を究めるために渡った韓国でイエス・キリストに出会う
そのような私が人生の問題の解決を得たのは、仏教ではなく、聖書によってでした。私にとってまったく縁のないものと考えていたイエス・キリストとの出会いが、人生を変えました。

私は1988年に、韓国仏教を研究するために韓国のソウルに留学しました。そして、ソウルにあるキリスト教会にも足を運びました。それはクリスマスの時で、初めは友達に誘われただけでした。しかし、僧侶として宗教的教養として、聖書も学ぶ必要があるのではないかと考え、その教会で聖書の勉強を始めました。

すると、読めば読むほど、聖書の言葉が私の心に響いてきました。人はみな罪をもっており、その罪のために身代わりとなってイエス・キリストは十字架にかかった、という教えは大変興味深いものでした。しかし、その時本当の意味を理解することはできませんでした。

そしてある日、ひとつ試してみようという気持ちで、「私は罪人です。どうぞおゆるしください。」と、神に向かって祈りました。すると突然、涙があふれてきました。これには自分でも驚きました。私は泣きながら続けて、「神さま、ゆるしてください。私の罪をゆるしてください。」と祈りました。

その時、驚くべき変化が私に訪れました。それまで、私の心を支配していた「生きるのは空しい、意味がない」という暗い思いが、まったく消えてしまい、今までに経験したことのない大きな喜びに包まれたのです。

また、「神さまはいらっしゃる」という力強い確信が心に刻まれました。「イエスさまこそ真理だ、私の人生はこのイエスさまのものだ、イエスさまが人生を導いていらっしゃる」という喜びで心はいっぱいになりました。

それまで学び、求め続けていた仏教からは多くの知識を得ました。しかしそれらは頭だけのもので、まったく私の生きる力とはなっていませんでした。仏を礼拝しても。極楽浄土に思いを馳せようとしても、それらを信じられない自分に気付くだけでした。

ところが、イエス・キリストが私の罪のために十字架にかかったことを信じ心を神に向けた時、人生を新たにする救いの手がさしのべられたのです。それは頭だけの知識でもなく、思い込みでもなく、確かな経験でした。

そして同時に、「私は天国に行ける」という確信も与えられました。私のj人生は目的のない、どこに行くのかわからないものではなく、神の国である天国に確実に向かっている、という揺るぐことのない信仰が神から与えられたのです。

■神を求める心は誰もが持っている
科学が進み、物が豊かになり、「仏は神などいない」という結論を出しているかに見える現代でも、お寺や神社に参拝する人はますます増えています。これはいったいどうしてなのでしょうか。

聖書では、唯一なる神が宇宙万物を創造したと説きます。西洋人でも東洋人でも、世界のすべての人々は、創造主である神が造ったものであるといいます。それならば、子どもが親を慕い求めるように、人間ならばだれでも自分を造った神を求め、その神に帰りたいとする本能的な要求を持っているのではないでしょうか。人々が、仏像などを見て思わず拝みたくなる衝動にかられるのは、本当の神を求める心を持っているからだと思います。

その本当の神とは、聖書に説かれている唯一の神です。そして、その神に帰る道は、イエス・キリストを信じることです。

私のように、イエス・キリストから最も離れているところにいた者でさえ救われ、人生が変えられたのです。ですから、どんな人でも、どんなことをしてきた人でも、救われない人はいません。また、自分の努力など必要ありません。ただ、イエス・キリストを信じるだけで、すばらしい人生へと変えられるのです。

・・・・・全国家庭文書伝道協会(EHC)の許可を得て掲載しています

→一度、教会へいらっしゃいませんか

生きるってすばらしい 田原米子


1955年、ひとりの女子高生が東京・新宿駅で疾走する電車に身を投げた。


一命はとりとめたものの両足片腕を切断。右手指の3本を残すのみの体となってしまった。
だが、少女はやがてその絶望の中でキリストを見いだし、生きる勇気を与えられた。

■一日も早く母のところへ行きたい!
16歳のある日、愛する母が突然、脳溢血で死んで以来、私は生きることの本当の意味を求めてさまよい続けていました。

「なぜ、人は生きるの?結婚して子どもを産んで、年老いて何も残すことなく死んでいく。そんな人生なんかないほうがましでしょう?」

難解な哲学書をよみあさっては、友人や高校の先生に生きることの本当の答えを求めてみましたが、何も返ってはきませんでした。

「君は少し、考えすぎだね。そんなことを思い詰められるだけ甘ったれているんだ。もっと勉強に打ち込んでみろ。悩みなんか吹っ飛んでしまう!」

生きながらえることが無性に切なく、むなしい心を忘れるために覚えたタバコと強い酒。

そして、ある日、一日も早く母のところへ行きたいとの死の誘惑に負け、ついに東京・新宿駅のホームから電車に身を投げたのです。

昭和30年2月。18歳の私は、鉄道自殺未遂で無惨に切り裂かれた肉体をベッドに横たえて絶望の日々を病院で送っていました。

包帯でグルグル巻きにされた両足は、左が膝の下から、右が足首のあたりからなく、左腕の肩の付け根」は、電気に触れたようにしびれ、寝間着の袖だけが力なく垂れ下がっていました。右手に巻かれた包帯の先からは、わずかに残った3本の指が見えるだけでした。

■なぜ私を死なせてくれなかったの!
入院生活は、毎日が悲しみと焦りの日々でした。痛みと眠れないことを理由にもらった睡眠薬を、飲んだふりをしては隠し集めていました。それは、果物ナイフから寝間着のひもまであらゆる自殺の道具を取り上げられた私の唯一の”希望”だったからです。一日も早く致死量をためたい・・・・。

毎週金曜日になると、キリスト教の宣教師と一人のクリスチャン青年が病室を訪ねてきましたが、二人が話す神の話などに耳を傾けることなど、とうてい、できませんでした。

「本当に神がいるというなら、なぜ私を死なせてくれなかったの!こんな体でどうやって生きろというの!」

枕に顔を押しつけ、声を上げて泣き叫ぶ夜が何日も続きました。

そんなことばかり考えている私でしたが、ある一つのことが気になり始めました。それは訪ねて来てもろくに返事もしなかった宣教師とクリスチャン青年の存在でした。

どんなにつっけんどんにしても腹をたてない。約束したことはどんなささいなことでも守ってくれる。よれよれの服を着ていても、今まで見たことのないような明るい笑顔・・・・。

私は、クリスチャンとは一体どういう人種なのかつかみかねていました。初めは、人の弱みにつけこんでどうせ信者を増やそうとしているんだ、と警戒しました。

それにしても、少し鈍いと思わせる反面、あの底抜けの明るさ、あたたかくて優しい態度・・・・。

どうしてか、この柔和さはどこから来ているのだろうかと思うようになりました。信仰心が人を変えるのか。それとも、この人たちが存在すると信じているキリストという神が本当に人を救いかえるのか・・・・。

私は歓迎できない、このお客さんたちを迎えながら、だんだんこんな思いがわいてくるのを、どうしようもできませんでした。

■彼なら私の苦しみを分ってくれる!
入院3ヶ月後の5月、宣教師らが置いていったテープレコーダーから流れてきた聖書の話が私の心をとらえました。語られていたのは〈キリストの愛と十字架について〉でした。

「キリストが十字架にかかられたのは、あなたがたを救うためにあなたの罪の身代わりとなられたからです。ご自身のいのちさえもなげうってキリストは、あなたを愛しておられるのです。3日目によみがえられたキリストは・・・・」聞き入る私の目からは、涙がとめどなく流れていました。

「キリストなら私のこの苦しみを分ってくれる」と思ったからです。

「自己中心でわがままいっぱいに生きてきた自分。そして今はこんな体になった自分。この神の愛にかけてみよう・・・・」

そう決心すると、その夜は睡眠薬も飲まずにぐっすりと眠れたのです。本当に不思議でした。

心の底からあふれる喜び。翌朝、すべてが新しく見えました。窓の外に広がる春の風景の色はあまりにも美しく、3本の指しか残っていない腕を見ても、もう昔のように悲しみの気持ちなどわいてきませんでした。

「なぜだろう?」

そんな気持ちでそばに置かれた聖書を、意味もなくパラパラめくっていると、一つのことばが飛び込んできました。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、身よ、すべてが新しくなりました。」

なにかとってもうれしい気持ちになり、このところを何回も何回も読み返しました。そしてこの時、本当にキリストが私を救ってくれるとわかったのです。

■前の体に戻りたいと思ったことは・・・・・
よく人から、「両足があったらと思うでしょ」と聞かれます。でも、私はあの日以来、一度も前の体に戻りたいと思ったことはないのです。

前の生活は確かに見かけは健康でした。でも心は病んでいました。たとえ、両足、片手がなくても、キリストの新しいいのちに生かされるなら、それ以上にすばらしいものはありません。

あれから45年の月日がたちました。私はかつて、あの病床に宣教師とともに通い続けてくれたクリスチャン青年・田原昭肥と結婚し、2人の子どもにも恵まれました。母親として2人の娘を育てながら、牧師である夫とともに、これまで、自分が受けた大きな愛を人々に伝えてくることができました。

60歳を過ぎた今も、各地の中学や高校に招かれては、悩み多き世代に、あの愛の物語を語り続けています。心の重荷で苦しむ人々に生きることのすばらしさをお届けしたいからです。

・・・・・全国家庭文書伝道協会(EHC)の許可を得て掲載しています


→教会はいつでもあなたをお待ちしています

ほんとうにしあわせな老後のために 小助川次雄


いかがお過ごしでいらっしゃいますか。この度、ぜひお知らせしたい気持ちから、少しばかりの手紙を書きましたので、お読みいただければ幸いです。

先日、私の知人が、ある老人ホームを訪問したとき、「おじいちゃん、おばあちゃん、こんなに長生きできてよかったね」と語りかけたところ、「何がよいもんか・・・・・」と返答されたというのです。

私はこの話を聞いたとき、これは大変なことだと思いました。そして、なんとかしてひとりでも多くのお年寄りに、しあわせな長生きをしてもらいたいと思わされたのです。

それで、世界で一番多く読まれている聖書の、すばらしい教えをお知らせしたいと思いました。

まず、「長生き」は、天地万物の造り主なる神さまの恵みでもあります。確かに私たちのしあわせは、多くの人々に負うところが多いのですが、すべてのものは、神さまによって生かされているのです。そして、自分の人生や命の「代わり」はなく、一度きりのものですから、自分を大切にして生きていただきたいのです。

つぎに、この神さまは、あなたを愛してくださっています。お年寄りだからといって、「のけもの」にされることはありません。あなたは決してひとりぼっちではなく、この神さまと一緒に生きられるのです。

また、人には生きている限り、使命(=やること)があります。老後は余生(=余りもの)ではありません。たとえ病床に伏していても、何かの役に、だれかの役に立つ生き方ができるのです。

さらに、あなたは「死」のことを心配しておられるのではないでしょうか。聖書には、私たちが人生を終えた後、永遠のいのちに至るか、または永遠の苦しみに落ちるか、二つに一つであることが記されています。私たちはだれでも罪ある者ですので、そのままでは永遠の苦しみに落ちなければなりません。

しかし、救いがあります。私たちの罪に対する神さまの刑罰を、私たちに代わって受けてくださった方がいます。それはイエス・キリストです。この方は、私たちのすべての罪を背負い、十字架の上で死んでくださいました。そして三日目によみがえり、今の生きておられます。このイエス・キリストを備えてくださったのは、神さまでした。それほどまでに、神さまは私たちを愛しておられるのです。

イエス・キリストを信じるなら、すべての罪のゆるしと、永遠のいのちが与えられます。そして、喜びと感謝に満ち、天国を目ざして、日々新しい気持ちで歩めるのです。次の聖書のことばは、これらのことの約束です。

「神は、実に、そのひとり子(キリスト)をお与えになったほでに、世を愛された。それは御子(キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

どうぞ、ほんとうにしあわせな老後を生きてください。

・・・・・全国家庭文書伝道協会(EHC)の許可を得て掲載しています


→神さまを信じていれば、死は怖いものではありません

大いなる出会い 星野富弘


突然の事故でした。

中学校の体育の教師をしていた私は、体育館で生徒たちと宙返りをしていたとき、どうしたことか、マットに頭から落ちてしまったのです。

病院に運ばれた私は、頚髄損傷と診断されました。手術後も首から下は全く動かず、自分で食事することも、用便することもできません。ベッドの上で来る日も来る日も、天井を見つめたままの生活が続きました。自分から積極的に生きようとする気持ちはなく、その日その日がただなんとなく過ぎていくだけでした。

私がけがをしたと聞いて、大学時代の先輩が東京から駆けつけて来てくれました。そして「ぼくにできることはこれしかありません。」と、後で一冊の聖書を届けてくれたのです。しばらくベッドの下のダンボール箱にしまっておいたのですが、ある日、思いきって開いてみました。そこにこんなことばを見つけました。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイの福音書11章28節)

ここを何度も何度も読み返しているうちに、どういうわけか、重い心の中に、温かなものがわいて来るような気がしました。

天井を向いて寝ていると、どうしようもない寂しさが襲って来ます。そんなとき、片腕でも動いたら、そして、手のひらで顔を覆うことができたら、どんなに楽になれるだろうか、と思いました。うれしいときに感謝し、苦しいときに名を呼ぶ人がいたら、どんなに心強いことでしょう。聖書を読んでいると、イエス・キリストという人が私を抱きあげて、私の言うことを優しく聞いてくれるような気がしたのです。

ある日、手紙に返事を書きたいと思い、口に筆をくわえてみました。そして、ぶるぶると震えるペンの先に、ミミズがのたくったような文字でしたが、書けたのです!片仮名の「ア」という文字でした。目の前がパァーッと明るくなりました。一字でも、一本の線でも、何もできないと思っていた私にしてみれば、スポーツで新記録を出したような喜びでした。

やがて手紙の隅に、枕もとの花を描くようにもなりました。

聖書を通して、自分の罪深い本当の姿を思い知らされもしました。周囲の人が不幸になったとき自分が幸福だと思い、他人が幸福になれば自分が不幸になってしまう。自分は少しも変わらないのに、幸福になったり不幸になったりしてしまう・・・・・そんなふらふらとした自分の心に気づかされる思いでした。

イエス・キリストに出会ってから、貧しかった私の心の中に、宝物を持ったような喜びが与えられました。それは、今まで嫌いだったものが、美しく見えるようになるというような形で現われてきたのです。

・・・・・全国家庭文書伝道協会(EHC)の許可を得て掲載しています


→教会で、聖書のことばを聞いてみませんか?

今日がいちばん若い日、望みがあります 下川友也


この春、イースターの日、北海道の南の山奥にある日高キリスト教会で、九十歳のNYさんがキリストを信じて先例を受けました。彼女はつい昨年末まで熱心に仏壇の前に座して、日々先祖を敬い家族のしあわせを念じてきたのに・・・。

きっかけは、9月頃ちょっと転び、はじめての入院となったときのこと。医療や人さまのお世話になる生活をして、一気に人生のすべてを見せつけられたのです。高齢ながらも、身の回りのことは自分ででき、家族に支えられながら、不自由なく過ごしていたときはあまり考えなかったことを。

がぜん、今まで自分が頼りにしてきたものが何であるか見えてきたのでしょうか。生活をいっしょにするお嫁さん(長男の奥さん)が熱心なクリスチャンでした。 その親切な介護を受けるなかで、宗旨の変更を宣言しました。もう仏壇も神棚もいらない、キリストで行きますと。お寺に断りに行って、自分の口ではっきりと縁を切ってきたそうです。お嫁さんのなかにたしかないのち、キリストを見たのです。

人生も、長く生きてくると自分の罪深さがわかります。聖書の基準でそれを知るのでなくても、若いときのように、「ハイ信じます」と言いにくい気持ちがあります。救われるとか、天国に行くというのは、とても気恥ずかしい。自分からはとても言えないと思いこんでいます。それでは心の備えがないまま死を迎えることになり、なんの希望もありません。日本人なら習いに従って仏教で、ということになるだけです。

聖書には逆転劇がたくさん描かれています。死に臨んで、イエスさま!と叫びかけただけの強盗がパラダイスに招き入れられました。立派な生活の証しとか、善行をつんで尊敬される晩年とか、それはそれでけっこうなことですが、まるでいりません。イエス・キリストの犠牲は、神を離れてさまよっていた私たちすべてを救って余りあるほど大きいのです。

年をとったものの美点、長所はたくさんありますが、欠点の最たるものは、頑固になり新しい良いものを素直に受けとらないことでしょう。若者文化でもあるパソコン、ケータイ、ニューミュージック。こういうものは嫌いでよいとして、イエス・キリストの差し出される救いと新しい生活はぜひぜひ受け取られますように。

日高の九十歳のNYさんは、零下二十度をこす冬の日も一回も礼拝を欠かさずに来ました。関東大震災のその日に(1923・9・1)小学三年で、海岸の日高(三石街)から、山奥の日高町へきた苦労話を、会う人ごとに話してくれるおばあちゃんです。

この世に希望するものが減る分、逆に増し加えられるクリスチャンの希望が彼女を変えていったのです。

あなたも新しい希望ある出発を考えてみませんか。

・・・・・日本同盟基督教団の許可を得て掲載しています


→教会へ来るのに、年齢・タイミングは関係ありません


13歳の教会デビュー E.T.


私が教会を初めて訪れたのは、中学1年生の夏でした。罪が示されて悔い改めた日の週の日曜日のことでした。

おもしろくなさそうな親の顔を尻目に姉と二人で電車に乗り、教会へ向かいました。教会に着くと、みんなに大歓迎を受けました。

初めての礼拝では、O先生の隣の席に座りました。今でもはっきり覚えているのは、O先生の賛美しているときの姿です。私は、失礼にも「この人は、なんで歌が上手ともいえないのに、こんな大きな声で歌えるんだろう。」と思っていました。それは、むしろ感心に近い思いでした。この時は、神さまを賛美する歌でさえただの歌としか思っていなかったのでした。

また、こんなことも覚えています。礼拝の終わりの献金のときになって、私が5円玉を出そうとしたら姉に止められ、「これにしときなさい。」と100円玉を渡されました。私はこの時、「献金って高いんだなァー。」と真剣に思いました。なんと当時の私の財布の中には10円玉と5円玉しか入っていませんでしたから・・・。

ヤングチャペルのクラスに行くと、私と同じ年齢の子が3人座っていました。その時の学びの内容まではさすがに覚えていませんが、O先生から、「Eちゃんは、いつからイエスさまを知っているの?」と聞かれ、「ずっと前からです。」と答えたのを覚えています。また、クラスの終わりに、お手製のクッキーをいただいたこともはっきり記憶に残っています。

これが私の教会デビューです。

・・・・・ご本人の許可を得て掲載しています


→教会では、楽しいお友だちが待ってますよ

教会への第一歩 E.M.


これは私の小さな第一歩のお話です。

私が初めて教会を訪ねたのは、1996年のペンテコステの頃(5月中旬)でした。心の救いを求めつつ、どうしたらよいのかわからず悶々としていた私は、「光のあるうちに」を読み返していました。以前は目にとまらなかった「信仰に導いてもらうためには、教会は必要なところなのです。勇気をふるって教会へ行ってみよう。」という箇所が心にひっかりました。

そうだ、とにかく教会へ行ってみなければ、、、。ご丁寧に教会の捜し方まで書いてあるのだから、、、。

まず、電話帳を広げたものの、教会と名のつくところは以外にたくさんありました。求めている時は、何にでもすがりつきたくなってしまうものかもしれませんが、いろいろな新興宗教がある中で、まちがった選択をしてはいけない、、、。自宅に近い教会にも電話してみました。心を落ち着かせ、三浦綾子さんや星野富広さんと同じ信仰の教会をと願っていた時、長野福音教会を教えていただいたのでした。もう一度電話帳を広げ、住所を確認し、思い切って電話、、、。

「いつでもどうぞ」とやさしく言ってくださったのは正村八重子先生でした。勇気を振り絞って足を踏み入れた受付で迎えてくださったのは、ニコニコ顔の星沢先生でした。「妻も九州から来たばかりなのですよ。」と新婚の先生に案内していただきました。
 私にとって、小さいけれど忘れられない確かな第一歩となったのでした。

・・・・・ご本人の許可を得て掲載しています


→ほんのちょっとの勇気によって、あなたは救われるのです


2010クリスマスに寄せて 長野福音教会 牧師 高橋宣広 


忘れられないケーキ

これまで食べて来たケーキの中で、ずっと忘れられない特別なものがあるでしょうか?私は、小学校1年生の時のクリスマスケーキが忘れられません。その年、親せきのおじさんが「ケーキを買って、持って行くからね」と約束してくれました。

12月25日、おじさんが来るのを、朝から待っていました。昼が過ぎ、夕食が済んでもおじさんは現れません。いつもなら、もう寝ている夜の10時過ぎ、「ピンポーン」と呼び鈴が。ケーキの箱をたずさえて、おじさんが来てくれました!

その時のケーキの味やトッピングがどうであったかは、もう思い出せません。しかし、待ちに待ったものが与えられた時の喜びや感動は、いまだに忘れることが出来ません。いつまでも心の中に大切に残っているものは、見た目の立派さや極上の味などではないのでしょう。それを、どれほど期待して待っていたか。そして、それが与えられた時の喜びの方が大事なのではないでしょうか。

本当に価値あるもの

キリスト教の『聖書』の中には、「見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(Ⅱコリント4:18)との言葉があります。私たち人間は、目に見えるものにいつも心おどらされてしまいます。見えるものを手に入れようと必死になっています。しかし、この世のものは、いつかは朽ちていくもの、そして、いつかは手放さなくてはいけないものです。それに対して、いつまでも続くもの・本当に価値あるものは、実は目には見えないものではないでしょうか。 

静まって心あたたまるクリスマスを

クリスマスのこの時期、ツリーやイルミネーションなどがキラキラ光っています。そんな中、ただ浮かれ騒いだり、忙しさに埋もれて、本当に価値あるものを見失ってしまっては、もったいないでしょう。

『聖書』には、「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(Ⅰコリント13:13)とも記されています。信仰も希望も愛も、見えないものですが、生きていくために無くてはならないものです。けれども悲しいかな、この時代は、これらとは正反対のもので満ちているように感じられます。信じることよりも疑いや疑惑が渦巻き、希望よりも絶望が支配し、愛よりも妬みや無関心が蔓延しています。

そんな暗闇の世に光を照らしてくださるのが、真の救い主です。私たちにとって無くてはならないものを与えてくださるために、神様は救い主を私たちのもとに送ってくださいました。この救い主=イエス・キリストがお生まれになった日が、本当のクリスマスなのです。

この12月、日常生活や街の喧騒からしばし離れ、本当に価値あるものに触れる静かなクリスマスを教会で過ごしませんか? 心あたたまる本物のクリスマスが待っています。


→クリスマスに教会に出かける、、、こんなに自然なことはありませんよね